Fender.jp
LONDON CALLING ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー ジョー・ストラマー・テレキャスター ジョー・ストラマーについて ディスコグラフィー
ジョー・ストラマーについて
セックス・ピストルズの音楽シーンへの衝撃的な乱入で迎えたパンクの夜明けを、懐疑心に満ちた世の中に根付かせたクラッシュ。古い因習を壊し、新しい何かを求めるストラマーの説得力のあるヴォーカルは人々にパンクを聴く耳を与えた。ロンドンのナッシュヴィル・ルームで彼らの前座を務めたセックス・ピストルズのライヴに衝撃を受けたストラマーは、自身のロカビリー・バンド、101ersを解散し、ギタリスト(その時はろくに弾けなかった)ミック・ジョーンズのいたクラッシュに合流。だが彼がバンドの方向性を仕切り始めるのにそう時間はかかるはずもなく、パンクの代表曲を数々生み出すと共に、イギリスだけでなく、アメリカの音楽ファンも虜にしながら、史上最強のパンク・バンドの領域さえ超えてしまった“クラッシュ”は不動の地位を獲得した。

クラッシュ再結成か?!そんな声が叫ばれるなか、2002年、50歳の若さで心臓発作によりこの世を去ったジョー・ストラマーの、そこに至るまでの道のりは過酷そのものだった。息継ぎもできない過密ツアーとメンバー間の疑心暗鬼から始まったクラッシュの空中分解の後、男なら誰もが憧れるワイルドな風貌で、アレックス・コックスの『ストレート・トゥ・ヘル』、ジム・ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』に俳優として出演し、コックスの『ウォーカー』などに映画音楽を提供しながら、新しいバンド、ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスで再び音楽に喜びを見出すまで、深く暗い闇をさまよい続けた。そしてU2のボノとのエイズ撲滅運動を経て、ストライキ中の消防組合のチャリティ・ライヴで飛び入り参加して一緒にクラッシュ時代の曲を演奏したミック・ジョーンズと和解し、再結成が囁かれた矢先に、彼は僕らの前から旅立った。

インド生まれの外交官の父のしつこさとスコットランド出身の母のやさしさを受け継いで誕生したジョン・メラー、ことジョー・ストラマーは、トルコのアンカラで生まれ、カイロ、メキシコシティ、旧西ドイツのボンを点々とした後、冷戦、ベトナム戦争、カウンター・カルチャーの時代に、寄宿学校で一緒に育った18ヶ月上の兄デヴィッドを自殺で亡くしている。だがロンドンから労働者階級の多い南ウェールズのニューポートにある美術学校に移ってからは、墓掘り、ゴム工場、カーペット店で働き、女と音楽を発見した。彼は初めてのバンド、ヴァルチャーズを結成し、自ら宣伝用の漫画も描いた。その後、ロンドンで不法占拠のスクワットとロック、そしてクラッシュに出逢った彼は、苛立ちを爆発させるべく“労働者”の声を獲得する。

ストラマーにセックス・ピストルズとクラッシュのメンバーを引き合わせたのは、「セックス・ピストルズの生みの親は俺だ」というのが口癖の曲者マネージャーのバーニー・ローズだったが、後に彼がバンドの不和に一役買うとまではストラマーも思わなかった。なぜなら、周囲で起きていることを歌詞にすればいいという貴重な助言を与えてくれたのも彼だったからで、強力なブレーンであったのも事実。だがミック・ジョーンズをバンドから追い出さすように仕向けたのも、裏方の領域を越えようと画策したバーニーだったことを知ったストラマーは後に後悔の念を表している。結果的に、オリジナル・メンバーは彼だけになり、6枚のアルバムを世に送り出したクラッシュの寿命を早めることになった。もしクラッシュが今も続いていれば…、その答えは誰にも分からない。

ポーグスのツアーに引っぱり出されたのをきっかけに、ロサンゼルスのライヴ・ハウスを回ってミュージシャンをかき集め、ジョー・ストラマー&ザ・ラティーノ・ロカビリー・ウォーとしてライヴを敢行した彼は、独自のごった煮な音楽を見出すと共に、音楽への興味が少しずつ蘇り、その後ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとして、自らチラシを配り、ラジオ局を訪ねるという基本に立ち返った活動に嬉々としてのめり込む。生きていればいい、と言い切る境地に達した矢先、彼の人生は早すぎるエンディングを迎えることに…。
Production Note
1952: 8月21日、ジョー・ストラマー、本名ジョン・グレアム・メラー、トルコの首都アンカラに生まれる。
1970: 漫画家志望でロンドンのセントラル・スクール・オヴ・アート・アンド・デザインに入学。
1971: 第2回のグラストンベリー・フェスティバルを体験し、菜食主義となる。
1972: ニューポートの美術学校に転学。
1973: 初めてのバンド、ヴァルチャーズ結成。その音楽は初めてこの映画で聴ける。
1974: ロンドンで仲間たちとアパートをスクワット(不法占拠)し、バンド、101ers結成、翌年、芸名をウディからジョー・ストラマーに改名。
1976: 101ersの1stシングル「Keys To Your Heart」をリリース。セックス・ピストルズが前座を務めた伝説のライヴで披露し、翌月にはザ・クラッシュに参加。初めて練習したのがミック・ジョーンズ作曲の「1-2 Crush On You」(その後78年にリリース)。セックス・ピストルズの“アナーキー・イン・ザ・UKツアー”にハートブレイカーズ、ダムドと共に参加。
1977: クラッシュはCBSレコードと契約し、同年1stシングル「White Riot」、1stアルバム『THE CLASH』リリース。“ホワイト・ライオット・ツアー”の後、ミックとジョーはジャマイカのキングストンを訪れ、2ndアルバムの為の曲作りに入る。
1978: 初めてレコーディングでアメリカに渡り、ピックアップ・トラックでサンフランシスコからニューヨークまで横断。2ndアルバム『GIVE'EM ENOUGH ROPE』リリース。
1979: 一年に二度の全米ツアー敢行。3rdアルバム『LONDON CALLING』リリース。
1980: 3枚組の4thアルバム『SANDINISTA!』リリース。
1981: NYのタイムズ・スクエアで17連続公演を敢行する。
1982: ドラマーのトッパー・ヒードン脱退で初代ドラマーのテリー・チャイムズが復帰。5thアルバム『COMBAT ROCK』リリース。
1983: ミック・ジョーンズ、クラッシュをクビになる。
1984: ストラマー、ギャビーとの間に娘ジャジー誕生。メンバー総入れ替えでツアー敢行。
1985: クラッシュとして最後のライヴ演奏を行なう。6thアルバム『CUT THE CRAP』リリース。その数週間後、クラッシュ解散のニュースが流れる。
1987: スペインのアルメリアで撮影されたアレックス・コックスの『ストレート・トゥ・ヘル』、続いて『キャンディ・マウテン』に出演。ニカラグアで撮影した『ウォーカー』の映画音楽を作曲し、出演も。
1988: ポーグスに誘われ、ツアーにギタリストとして参加。映画『パーマネント・レコード』(キアヌ・リーヴス出演)に4曲提供。
1989: ジョー・ストラマー&ザ・ラティーノ・ロカビリー・ウォーとしてライヴを敢行。ソロ・アルバム『EARTHQUAKE WEATHER』リリース。ジム・ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』に出演。
1990: ポーグスのアルバム『HELL'S DITCH』プロデュース。
1991: ポーグスのヴォーカリスト、シェーン・マガウワンの代理としてツアーに参加。クラッシュのベストアルバム『THE SINGLES』、ボックス・セット『CLASH ON BROADWAY』リリース。
1995: ルシンダ・テートと結婚。グラストンベリーなどの野外フェスに顔を出し、ストラマーヴィルのキャンプファイアを始める。
1997: クラッシュのレコード契約から解放され、サマセット州に居を移す。最初のフジロックでストラマーヴィルのキャンプファイアを開く。
1998: ラジオ番組[Joe Strummer's London Calling]をBBCワールド・サービスで開始。
1999: ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとして初ツアー。
2000: ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスの1stアルバム『ROCK, ART AND THE X-RAY STYLE』リリース。
2002: メレカレロスのツアーで、ロンドンの消防士の慈善公演での演奏にミック・ジョーンズが飛び入り参加。 その約1ヶ月後に、自宅にて心臓発作で死亡。
Production Note
(親について)
「どこか遠くへ追いやられるような気がした。一年に一度しか会えずに。そのことは俺の人生を本当に変えた。両親のことを忘れなければならなかったから」
(ストラマーと名乗った理由について)
「今でも弦を6本か0本しか弾けないからね、“かき鳴らす”(STRUMMER)という名前にしたんだ」
「ピストルズはいきなり全てを噴き飛ばした。ドアを蹴破る前の催涙弾だった…それだけ新しく、何百万年も先を行っていた。
街の音楽 を全て破壊してしまった。彼らがステージに上がった瞬間から他は完全に終わっていた」
「クラッシュに参加した日は、俺にとってゼロからの再出発だった」
「クラッシュに合流することは、24時間、ギャングの仲間入りしたようなものだった」
「全ての友達と関係を断ち、それまで覚えた演奏も全て忘れなければならなかった」
「友達のカネは盗らないけど、女ならいつでも横取りするよ」
「俺は考えすぎる。いや、それでも足りないくらいだ」
(大きなステージで演奏することについて)
「(観客が)どんどん膨れあがるなかで歌っていると、どんどん気分は最悪になった。きっと歌詞の内容のせいだ。観客が同志で、一緒にムーブメントに参加しているならいいけど、何千マイルもかけ離れた人たちを前にして、俺はおかしくなり始めていた」
「いつか成熟に到達すると思っていたのに、今も待ってる状態なんて」
「ひとつ言っておくが、人は何でも変えられる。世界中の何でもだ――」