| 「白い暴動」「ロンドン・コーリング」といったアンセムで世界のパンク・シーンを席巻しながら、結果的にパンクさえ飛び越えてしまった伝説のバンド、クラッシュのフロントマンとして時代を駆け抜けたジョー・ストラマーが人々に与えた影響は計り知れない。その時代を先取りする直感、メッセージ性の強い歌詞に、先入観のない音楽のメルティング・ポットを生み出す才能は、世界中の人々のハートとアドレナリンを揺さぶった。だがバンドの崩壊後、頂点からどん底まで味わうことになる彼の人生は、安楽なものではなかった。パンクのゴッドファーザーともいわれる男の人生の、いまだ知られざる“光と陰”を伝える究極のリアルライフ・ドキュメンタリーが登場した! |
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監督は、76 年の結成時からバンドを追いかけ、最後の10 年は親しい友人として傍から見ていたという、『セックス・ピストルズ/グレート・ロックンロール・スウィンドル』『NO FUTURE A SEX PISTOLS FILM』『GRASTONBURY グラストンベリー』など、音楽センスを問われる映画が定評のジュリアン・テンプル。
『LONDON CALLING/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』は、彼の死後に発表されたどの追悼フィルムよりも彼の人生を多面的に伝える真実のストラマー像を炙り出すことに成功している。セックス・ピストルズ、ラモーンズにも影響を与え、実際にU2 のボノ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとアンソニー・キーディス、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピー、セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ、ドン・レッツ、ローランド・ギフト、グランドマスター・フラッシュ、アーティストのダミアン・ハースト、また後に俳優、作曲家として関わる映画界からジム・ジャームッシュ、ジョニー・デップ、マット・ディロン、ジョン・キューザック、マーティン・スコセッシ、スティーヴ・ブシェミ、コートニー・ラヴなど錚々たるメンツが、彼が心から愛し、グラストンベリーの音楽フェスティヴァルでも実践したキャンプファイアの下に集い、静かに、楽しそうに、また何よりも親密に、ストラマーとの思い出を語り継ぐ。そこには、元バンド・メンバーばかりか、分け隔てを嫌ったストラマーらしく、著名人だけでなく、現妻も元妻も恋人たちも、友人や従兄弟たちもが顔を揃える。
「俺たちは人生のどの過程で真実を見つけられるのだろう。最初か、中か、最後か?それとも、ただ全てが混沌とした真実なのか?」そう問いかけながら新しい自画像を生み続けたストラマーは、その結果、多くの人を傷つけながらも、自分なりの真実を求めて走り続け、誰よりも濃く太い人生を生きた。その行動にはジキルとハイドのような傲慢さとやさしさが同居したが、心の奥底には、寄宿学校へ送り出された父親不在の寂しさを抱えていたのかと感じさせる幼少期の8 ミリ映像が挿入される。
マニア垂涎の当時のイラストが動きを与えられて登場するだけでなく、それ以上に名付けの天才だった彼は、周囲のメンバーだけでなく、ウディという芸名を経て、ギターをかき鳴らすことしかできないストラマー(かき鳴らす者)と名を変えたが、ジョニー・カラメロという名前も真剣に迷っていたというから、そこが大きな転機となったのかもしれない。クラッシュというメディアを得た彼は、階級意識に支配されたイギリス社会で燻っていた怒りの代弁者となり、ならず者集団と見られていたパンクを、世界を変えるための原動力にまで変えた。社会の矛盾をシンプルに伝える彼の歌に人々は熱狂し、クラッシュは一気にアンダーグラウンドを飛び出し、70 年代後半から80 年代を振り返ることなく走り続けることになる。
自ら作りあげたパンク・ロッカー像、押しつけられたロック・スター像にも疲れ果てた彼は、燃えつきたかのように、スペインの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカの墓を訪ね、自分探しの旅に出る。ポマードで髪を固めた男臭いロッカー/ならず者の出立ちで映画に出演し、映画のサウンドトラックを手がけるも、レコード会社の契約に縛られたまま、新しい音楽に船出することもできずにいたことは、彼にとってこの上ない苦痛だった。そのうえ“Rock The Casbah”という文字をイラク爆撃開始の弾頭に見つけた時はテレビの前で咽び泣いたという。だが1998 年から2002 年、BBC ワールドサービス(ラジオ)の<Joe Stru mmer’s London Calling>で、彼はメッセージと共に、その触手に引っかかったあらゆるジャンルの音楽をかけ、発信した。世界中に語りかけるその声は映画の枠組となり、まさに天国からのDJ という感じだ。
2002年、我々とこの愛すべき世界と仲間たちを残し、彼はこの世を去った。だが彼は確実に、世の中を変えるための萌芽を残してくれた。「自分が作ったどんな音楽よりも素晴らしいアイデアだ」と話した、彼がストラマーヴィルと名付け、グラストンベリーで始めた、誰でも火の下に集えるキャンプファイア・イベントが、この映画でも旧友たちを繋ぎ、我々観客を温かく迎えてくれる。その火は後にフジロックにも飛び火し、ロンドンのリハーサル・スタジオや、彼が晩年を過ごした第二の故郷サマセット近郊にも、ストラマーヴィルの名の下に、彼の意志が受け継がれている。温かい炎を受けて自然に漏れ始める仲間たちの生の声を、彼はあの皮肉めいた笑みを浮かべながら聞いているに違いない。過去を犠牲にしながら、前進を選んだ男。ロック、フォーク、レゲエ、クンビア、バングラといった無国籍な音楽に、社会の矛盾も丸ごと、貪欲に飲み込み、最後は大きな毛玉のように、今の音楽を吐き出した男は、時代を映し出す鏡だったのかもしれない。
「人は世界の何でも変えられる…人は何でも変えられる…それは俺がようやく学び始めたことだ」という言葉を残して、彼は巨大な火の玉となって時代を巻き込んだ。そして彼の意志は観客に受け継がれ、更に広がる。その時、映画は彼への追悼ではなく、彼が追い求めた生き方に対する祝祭となる。 |
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「同じ年に生まれ、多くの矛盾や時代や体験を共有してきた」とジョー・ストラマーとの不思議な因縁について監督のジュリアン・テンプルは話す。「僕がとてもハマった60年代半ばのロンドンのシーン。そのすぐ後に訪れたヒッピー・シーン。71年から始まったグラストンベリーに代表される音楽シーン。ロンドンのスクワット・シーン。そして問題のパンク・ムーブメント。ジョーの選んだ動きは、同時に僕が選んだ方向と重なっていた。だからこの映画は自伝的な意味合いも持ち、そういう意味でもやりやすかった」
同時に、ジョー・ストラマーは、その名前を変えたように、自分のイメージを常に意識し、作り変えてきた。最高のセルフ・プロデュースであり、“いい意味”でのナルシストだ。
「彼はビニール袋に、付箋やカードや紙切れや、言葉の断片や写真や絵を入れて持ち歩いていた。若い頃から、自分(のイメージ)を発明し、修正し、変革してきた。そして素材は溢れるように増え、描き方もどんどん広がっていった」
その結果、ニューポート時代のバンド、ヴァルチャーズの音源や、101ers の頃にエルギン通りに器材を搬入している映像など、貴重な素材を拝むことができる。だが親しくなった友を描くのは、思い入れのある他人を描くより困難かもしれない。「友達をどう描きたいのか。どの素材をカットし、どの素材を残すのか。いいイメージを残し、悪いイメージを切るのか、何万通りの映画になり得た」という。
そして結果的に、よく知られたイメージ、素材、ニュース素材、映画、テレビCM、ホームビデオが切り刻まれ、接ぎ合わされた手触りの残るパッチワークと相成った。「そして」と彼はいう。「これは喪失についての映画でもあるが、同時に、ジョーが体現したものへの祝祭でもある。彼はずっと考えてきた。だがルールを破るのも好きだった。矛盾だらけの側面を、ここで見せないわけにいかなかった」そう語るジュリアン・テンプルは、76 年の出逢いから試みようとしながら、セックス・ピストルズの方に現実が動き出したために、実現できなかった映画を、その約20 年後の、皮肉にも彼の死後に完成させることになる。最後の10 年を隣人として、親友として過ごした彼にしか描けない、ジョー・ストラマー像があったはずだ。「10 年前、うちの庭の門に突然現れた」と彼は振り返る。「彼はサマセットに家を探しており、目の前にいる彼に本当に驚いた。
僕が作っていた気球を上げようと炎を起こし、楽しい夜を過ごし、その親密さは、彼の最期まで続いた」パンクである時は、100%パンクになり、楽にヒッピーにもなれたという二人は意気投合したが、それはストラマーがグラストンベリーで始めたキャンプファイア・イベントの“ストラマーヴィル”に体現される。数人が焚火の下に集まり、夜明けまで一緒に時間を過ごすというシンプルな行動に、彼は最期の真実への扉を見出したようだ。その輪には誰でも入ることができ、ストラマーは、訪れた人の寝袋や食事の心配ばかりしていたという。テンプルも振り返る。「最後の10 年で彼を本当に知ることができた。焚火を囲んですごく深い話をした。炎を前にして全ての人が平等で、有名無名もなかった。だから映画にキャンプファイアを採用することで、いわゆるドキュメンタリーのインタヴュー方式から自由になり、友情や親密さを引き出すことができた。それにジョーはいつも最後まで火の前にいた。そして残った人に言った。“夜明けのクラブで俺とおまえで語り明かそう”」そんな意志は、ジョー・ストラマーの死後、彼の友人や家族に引き継がれた。ストラマーヴィル(www.strummerville.com)は、これからという若いミュージシャンにチャンスを与える場所となった。寄付と旧友たちの資金で運営され、チョーク・ファームのラウンドハウスが施設として改装され、サマセットにもリハーサル・スタジオができる予定だという。それが彼の望みだった、のかもしれない…。
だが心臓発作で新聞を開いたまま、無言で息を引き取ったという彼は、この映画のように、全てを自分の手で引き寄せた。鷲掴みにして、周囲に睨みを利かせ、“俺様”の音楽を作り、やりたいようにやった。そして同時に、人の意見を聞き、社会をよりよくするために考え、歌い、酒をふるまった。そんな矛盾だらけの姿こそ、この映画で描きたかったことだと監督のテンプルはいう。
パンクでヒッピー、嫌味でやさしい、強圧的で傷つきやすい、少年のような、子供のようなジョー・ストラマーの姿だったに違いない。その死から5 年を経て、いまなお愛され、慕われ続けるジョー・ストラマーの物語は、人々に語り継がれ、それは原題の『The Future Is Unwritten』が示唆するように、いまだ閉じられていないのかもしれない。 |
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| 「LONDON CALLING/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー」 |
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監督:ジュリアン・テンプル[NO FUTURE A SEX PISTOL S FILM](00) 製作総指揮:ジェレミー・トーマス
撮影:ベン・コール 音楽監修:イアン・ニール ※サントラ盤:ソニー・ミュージック ジャパン インターナショナルより発売中
原題“JOE STRUMMER:T HE FUTURE IS UNWRITTEN”/2006/アイルランド・イギリス/英語/カラー/123分
配給:東北新社 (c) NITRATE STRUMMER LTD AND PARAL LEL FI LM PRODUCTIONS LTD 2006
オフィシャル・サイト http://www.LONDONCALLING.jp |
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